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フリーランス イラストレーター高田ゲンキの情報発信ブログ、『Genki Wi-Fi(ゲンキ・ワイファイ)』。

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僕の半生 ⑦ | 就職活動/バンド復活編| 2001年10月(24歳)〜2002年2月(25歳)

      2015/10/02

 - 人生論, 「僕の半生」    -

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2001年10月、インドから帰国してすぐに就職活動を始めた僕は、地元の職業安定所に行きました(今のようにインターネットでの職探しは一般的ではなかった)。その時点で僕が持っている技能と言えば、DTPのデザインが多少出来るくらいだったので、職安でDTPのデザイナーやオペレーターを募集している企業を探してもらったところ県内某所の広告代理店を紹介され、アポを取って数日後に面接に行きました。従業員数十人の小さな代理店だったので最初から社長面接だったのですが、その社長に「実は残念ながら数日前にデザイナー枠は埋まってしまったので雇えない。しかし、君は喋りがとても上手く営業にも向いてそうだから、よかったら我が社で営業マンとして働いてみないか?」と言われました。全くめちゃくちゃな提案だし、その時まで僕は「営業職」というものがどのようなものか考えたこともなかったのですが、労働意欲MAXだった僕はふたつ返事で「お願いします」と答え(今考えると、それもスゴい…)、11月から試用期間として雇ってもらえることになり、僕の就職活動はあっけなく終了しました(中小企業の中途採用ですが・笑)。

しかし、結局僕はこの会社を12月中旬に辞めました。理由は僕自身が営業職には向いていないということが分かったから(今思えば当然すぎて笑えますが、若い日は誰しもリアルな経験を通してしか知れないこともあるものなのです)と、その会社が今日で言うところのいわゆるブラック企業だったからです(毎日終電で帰宅・低賃金・超体育会系等々…)。ただ、そのブラック企業の試用期間研修中に超スパルタで叩き込まれた営業スキル(方法論や言葉遣い、ビジネスマナー等)は、後にイラストレーターになってからの自分の仕事の売り込みにそのまま役立ったので、ある意味でお金をもらって勉強できた貴重な時間でした。

退職と同時に、休止中だったバンドを再始動しました。約半年の休止期間中にメンバーそれぞれが個々に活動した結果、やはりもう一度3人で本気を出してメジャーデビューを目指すべきだという意見で一致したのでした。それで、年が明けた2002年1月、僕は一切バイトもせずに1ヶ月かけて3曲(その3曲はコチラから聴けます)をレコーディングしました。インド旅行で一度はお金を使い果たしましたが、その後1ヶ月半の会社勤務(試用期間)で得た給料は、実家に寄生していた僕にとって、一ヶ月の軍資金としては十分な金額でした。ちなみに、僕は基本的にMacと周辺機器を使って自宅レコーディングをしていたのですが(DTM= Desktop Musicと言います)、この頃にはアレンジやレコーディングのウデが上がっていて、時間をかけられたこともあり、かなりクオリティが高い音源を仕上げることができました。僕らはそれをMD(Mini Disk = 当時の最新技術・笑)にたくさんダビングして数十社のレコード会社や音楽事務所にプロフィールと合わせて送りました(当時は本当に貧乏だったので、この送料だけでも懐へのダメージが相当なものだったことを思い出します…)。新人選考の担当者の目に少しでも触れるように、MDにはイラストをあしらったシールを貼ったり、同封するバンドのプロフィールもDTPのスキルを使って、イラストや最大限洗練されたデザインで、つい見てしまうようなものに仕上げたので、今回ばかりは多少自信がありました。

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レコーディングが終わった頃、母親が求人広告でDTPデザイナーの求人を発見してくれたので(母も僕の行く末が心配だったのでしょう…笑)、一応アポを取ってその面接に行くことになりました。音楽への情熱と同時に、僕の心にはインドで目覚めた労働意欲もまだ残っていたのです。DTPデザイナーは、当時なかなか人気の職種で(現在は印刷物の流通量が減ったのでwebにシェアを奪われて雇用も減っていますが)、この手の正社員雇用は美大や専門学校で専門教育を受けた人か、2年以上の実務経験者しか採用されないのが業界の通念だったので、ダメモトで面接に向かったのですが、その面接では運良くデザインの実技試験と合わせて選考してもらうことができ、数日後に採用との連絡を受けました。と言うことは、そこで2年働けば晴れて僕も「2年以上の実務経験者」となれるわけで、これはデザイン業界でのキャリアアップのためのスタート地点に立てる!と、願っても無い展開に興奮しました。しかし一方で、その少し前にレコード会社や音楽事務所に送ったデモMDの結果も気になっていました。「でも、就職してからレコード会社から良い返事が来たら、どうしたら良いんだろう…」という思いが当然湧くワケです。とは言え、メジャーデビューは非常に狭き門なので常識的に考えて何も返事が無い確率の方が遥かに高いし、もし運良くメジャーデビューが決まったら、会社にワケを話して退職して、音楽の道に専念すればいいだろう…と考え、僕は2002年2月からその会社でデザイナーとして働き始めました。

そして、入社して1週間経ったある日、会社で昼食を取っていたところ携帯電話が鳴りました。「03-3XX.. 」という見慣れぬ番号からの着信だったので、もしやと思い、慌てて非常階段に飛び出して電話に出ると、やはり電話の相手は某大手レコード会社直結の音楽事務所からでした。電話の向こうの新人開発担当者は「デモ音源を聴いたところ、とても良いと思った。将来的なメジャーデビューを前提にウチの事務所に入らないか」と言いました。僕は非常階段から落ちそうになりました。

音楽挫折編につづく

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