Genki Wi-Fi

フリーランス イラストレーター高田ゲンキの情報発信ブログ、『Genki Wi-Fi(ゲンキ・ワイファイ)』。

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僕の半生 ⑬ | イラストレーター・なにわ編| 2011年3月(34歳)〜2012年11月(35歳)

      2015/10/02

 - 人生論, 「僕の半生」    -

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東日本大震災の翌月、僕らは大阪に居を移しました。大きな理由としては、震災後の余震により、妻の持病のメニエール病(めまいの病気)がより悪化し、仕事はもとより、生活もままならなかったので、揺れない場所に移動しようと思い行く先を検討していたところ、知人の好意により物件を大阪に見つけることができ、引っ越すことにしたのでした。この移動を機に、僕は「ノマド」というキーワードを強く意識するようになります。

ノマドとは…という説明は2011年に書いた記事(「ノマドという生き方」)にまとめていますので、そちらをご参照いただくとして、この分野において僕が最も尊敬する人は高城剛氏です(ハイパーメディアクリエイターという肩書きで有名な、あの人)。日本では、ゴシップネタでバラエティ番組やスポーツ新聞を賑わす人…というイメージが強いようですが、氏は国際的に活動する一流のクリエイターですし、それだけでなく、文化・政治・宗教等に対する造詣が深く、膨大な知識に裏付けされた先見の明は比類ないレベルと言えます。そんな氏も2000年までは東京に広いマンションを持ち、コレクターとして様々なモノを収集する生活をしていたそうですが、2001年の9.11以降意識が急激に変わり、モノを全て処分して「スーツケース4つで世界のどこででも生きていける生活」にシフトしたそうで、これがまさに究極の「ノマド」ということが出来ます。僕はそんな氏の思想を知りつつも、正直「それはいくらなんでも極端では…」と思っていた部分があったのですが、奇しくも2011年の3.11を機に、やはりモノを捨ててノマドを目指すようになりました。

そういうわけで、ノマド生活の第一歩として、我々夫婦は大阪での生活を始めたのです。それまでの34年間の人生のほとんどを関東圏から出ずに過ごした僕にとって、新幹線に乗って静岡県より西に行くこと自体が中学の修学旅行以来の出来事だったので非常に新鮮で、僕は新幹線の中で、駅で買った鯵フライ弁当を食べながら、終始子どものようにはしゃいで、妻にいささか呆れられたほどでした。

実は、大阪という場所は、僕はそれまで一度も訪れたことが無く(マインドゲームというアニメ映画を観て憧れていた程度でした)、生活をするにあたって初めて大阪の土を踏んだのですが、ほぼ東京の文化に染まって生きてきた僕には、思った以上に色々なことが違っていて、非常に刺激的な日々でした。大阪は、思った以上に人がやさして面白くて、食べ物がおいしくて、街全体がどこか懐かしくて、とても居心地の良い街でした。

大阪生活の中で、たくさんの同業者や仕事仲間に会いましたが、中でも嬉しかったのは、イラストレーターの先輩であるミヤタジロウさん(と奥さんのアヤノさん)にお会いできたことでした。ミヤタさんは、僕がイラストレーターとして独立した時には既にフリーのイラストレーターとして活躍していました。独立したばかりの頃の僕は、ミヤタさんのイラストや仕事のしかたに共感し、一方的にメールを送りつけていろいろと不躾な質問をしたのですが、ミヤタさんは見ず知らずの僕に返事をくれて、丁寧に答えてくれたのでした(なんかホントに親切な先輩に恵まれた人生だな〜…)。それ以来、たびたびメール等でやり取りをする仲ではあったのですが、実際にお会いするのはこのときが初めてで、それは最初のメールのやり取りから7年以上も経ってのことだったのでした。その日は大阪天満で待ち合わせて、「とっつぁん」という地魚屋台に行き、みんな(ミヤタさんご夫妻と我々夫婦)で盛大に酔っぱらいながら、イラスト談義に花を咲かせました。あれは本当に楽しい時間でした(ちなみに、その2ヶ月後には僕は禁酒をしましたが…)。

ミヤタさんだけでなく、大阪にはフリーランスで活躍している同業者たちがたくさんいて、彼らは皆引っ越してきた僕らを歓迎してくれて、旧知の友のように付き合ってくれました。インターネットが発達した現代において、もはや物理的な距離は意味を持たないのではないか…という気さえ起きる昨今ですが、こうして実際に生活する中で巡り会える仲間との関係は、絶対にインターネットでは築けなかったもので、それはインターネット大好き人間の僕にとって非常に大きな発見であり、それだけでも大阪に住んだ価値があったと思ったものです。

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その他、大阪生活についての詳細はここでは書きませんが、ちょうどこのころにブログ(本ブログではなく、イラストサイト内に設置してある旧ブログ)を開始したので、大阪生活の記録も残っています。 http://genki119.com/tag/大阪

一方で、大阪生活は、ある意味で我々にとって実験でもありました。つまり、今までは東京圏に住んでいたので、東京のクライアントから仕事を得やすかった面(打ち合わせに参加しやすいなどのアクセス面でのアドバンテージや心理的な安心感)もあったはずで、それが物理的に顔を合わせられない場所に居を移すことでどのような影響があるのか?ということを知りたかったのです。そして、結果として、それは全く問題無いことが実証されました。大阪に居ながらにして、僕らはそれまで以上の東京のクライアントからの仕事を受注することに成功したのです。別に大阪に引っ越したから…というワケではなく、この時期に自覚できるレベルで自分のイラストが進化したので、単純にそれが受注数に反映しただけの話だと思うのですが、いずれにしても、一定のレベルをクリアすれば、僕の仕事にロケーション的な条件は無いことが実証されました。しかも、大阪でも営業活動やプロモーションを通じて素晴らしいクライアントとも出合うことができ、そうしたネットワークによって自分のマーケットを近畿圏にも拡大することに成功したのでした。こうなると、むしろ東京圏にとどまり続けるより、移動しながら仕事をした方がビジネス面でもメリットがあると思い始めました。

そこで、我々夫婦は次の計画を考え始めました。それは「海外移住」です。実は、それより数年前から「いつか海外に住もう」という話を、事あるごとに夫婦間でしていたのですが(理由は主に日本経済への悲観的展望)、大阪居住によって遠隔地で仕事をすることのメリットが実証された以上、居住地が大阪ではなく海外になっても、仕事にはそれほど影響があるとは思えず、そうなるとなるべく早くアクションを起こした方が良いのではないか?という気持ちが二人の間に沸き起こったのです。それで、いてもたってもいられず、結局、楽しかった大阪生活も半年で切り上げ、神奈川に戻って、仕事をしつつ移住の準備を始める事にしました(しかし、本当に大阪は楽しい思い出が多く、今ベルリンにおいて日本の事を思う時、不思議と東京より大阪の風景の方が郷愁を伴って思い出されるのです)。

そのような経緯で、2011年11月から1年ほどは再び神奈川で過ごしたのですが、この期間は主に海外移住のリサーチと英語学習しかせず、それ以外は(幸い史上最高に忙しかったので)こもってイラストの仕事をしまくる…という日々でした。

特に、英語学習に関しては頑張りました。というのも、大阪滞在中に海外移住を考え始めた僕でしたが、この時点で、僕はまだ英語をほぼ話せない状態だったのです。大学受験でそれなりに英語を勉強したので、時間をかければ英文を読む事はそれなりにできましたが、英会話はそれとは全く別のスキルで、簡単な会話さえできない状態でした。しかし、それでは海外で生活するのは無理だろう…と思い、僕が始めたのは、「フィリピン・オンライン英会話」です。これは、フィリピンと日本の物価の差を利用したサービスで、月5000円ほどの利用料で、毎日25分の英会話レッスンをオンライン経由で受けられるサービスなのです(つまり、毎日受講すれば、一回あたりのレッスン料は200円以下!)。僕は、2011年11月から、この分野で最も有名なサービス「レアジョブ」を始めました。最初のレッスンでは、フィリピン人の先生が話している事もほとんど理解できず、やっと理解できても自分の言いたい事をほとんど伝えられない状態で、25分間で3つくらいのセンテンスしか言えない状態でしたが、その後1年の間、ほぼ毎日これを続けたところ、少なくとも英語が通じる国で生活をできる程度の英語力は身に付き、ある意味僕の中で最後にして最大のコンプレックスだった英語力も、これで乗り越えられるのではないか?というレベルになったのでした(もちろん個人差はあると思うのですが、僕の勉強法はなかなか効率的だったと思うので、その方法論も別の機会に書きたいと思っています)。

最近、特に国際社会において日本人の英語力の低さが取りざたされる機会が多くなってきましたが、「英語をできるようになりたいけど、どのようにしたら良いのかわからない」という人は、是非、このフィリピン英会話にトライしてほしいと思います。特に、大学受験等で文法や単語は覚えたけど会話には自信がない…という人は、毎日25分間、英語で会話をする習慣をつけるだけで格段に英会話スキルが向上すると思います。今後は、海外移住や長期滞在をする人に限らず、全ての日本人がある程度英語を話せる事が必要とされる時代と言っても過言ではないので(東京オリンピックも開催されるし…)、是非ひとつの参考にして欲しいと思うのです。

2012年。僕ら夫婦が、そんな感じでひたすら英語を(楽しく)学びつつ、移住先の候補地のリサーチを淡々と続けているうちに、あっという間に時間は過ぎ去っていったのでした。

イラストレーター・ドイツ移住編につづく

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