僕の半生 ⑪ | イラストレーター・駆け出し編| 2004年2月(27歳)〜2006年12月(30歳)

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独立して半年ほどは、知り合いづての小さな仕事をしていたくらいで、特に大きな進展もなく過ぎて行きました。会社員をしていた2年間が、ほぼ家と会社の往復という閉塞的な生活だったので、この時期はとにかく解放感を満喫した時期でもありました。しかし、小規模な仕事ばかりして自由を謳歌していた代償として瞬く間に貯金が目減りして行ったので、このままではいかんと思い、2004年の夏頃から勇気を出して営業活動を始めました(この営業の方法については、以前書いた「イラストレーターになるには」というエントリーに添付したPDFに簡単に書いてあります)。この営業活動にあたって、予想以上に役立ったのが、僕が2001年に就職した(そして2ヶ月弱で辞めた)ブラック企業で叩き込まれた営業スキルでした。テレアポの方法から営業の言葉遣いまで、スパルタ研修で体に染み付いていたので、非常に円滑に営業ができ、人生何が役に立つか本当に分からないものだとしみじみ思ったものでした。

しかし、もちろん最初からイラストの売り込みがすべて上手くいったワケではありません。特に売り込み初日は印象的な一日でした。

その日、僕は3社の編集者の方に会ってもらうアポイントメントを得て、東京に向かいました(当時住んでいた神奈川からは、都内への往復だけで2000円以上の交通費がかかるので、節約のためになるべくたくさんのアポを一日にまとめて取っていました)。まだ出版物の実績などは全く無かったので、イラストファイルには描きためたイラスト作品や雑誌紙面を想定して描いた架空の仕事イラストなどをしたためました。最初の営業先は比較的大手の出版社でしたが、編集長が直々にファイルを見てくれました。しかし、ひととおりファイルに目を通した後に編集長が僕に言った言葉は、想定を超えて厳しいものでした。

「この絵は、マンガでしかなく、イラストとは言えない代物だ。イチからイラストを勉強し直したまえ。それに、君は全てパソコンで絵を描いているようだが、そもそもそれが間違っている。パソコンを使えば誰だってこの程度の絵は描けるものだが、それは描き手の技術ではなくパソコンの技術でしかなく、それゆえ、デジタルで描いている絵は皆似たり寄ったりでオリジナリティが無くなってしまう。本気でイラストレーターを目指すなら絵の具を使ってアナログ手法を学ぶべきだ。5年10年かかっても良い。本当のイラストが描けるようになったら、また見てあげるから、もう一度来なさい」。

そう言われて、僕は目の前が真っ暗になりましたが、なんとか小さな声でお礼を言ってそそくさと編集部を後にしました。確かに自分は未熟だし、すぐには仕事をもらえないかも知れない…という程度の覚悟はありましたが、最初の営業でここまで見事に適性を否定されてしまうと、自分の可能性を信じて独立した僕の判断は、全て間違っていたのかも知れないとさえ思えてきました。本当のことを言えば、その編集長の言葉ですっかり自信を失った僕は、そのまま泣いて家に帰りたい気持ちでしたが、残り2件の売り込みのアポをすっぽかす訳にもいかず、重い足取りで2件目の営業先に向かったのです。

しかし、2件目に行った営業先(ここは出版社ではなく、デザイン事務所でした)の担当者は、僕のファイルを見るなり、「君のようなイラストレーターを待っていた!」と目を輝かせ、数日内に仕事を発注してくれる約束までしてくれました。僕は、先ほどの編集部での扱いからのあまりの落差についていけず、何度か聞き返してしまったほどでした(そして後日、本当に仕事の発注をしてくれました)。更に、3件目の出版社でも僕のファイルは好評を博し、そこでは何とその場で仕事を受注することに成功したのです。そんなわけで精神的にはジェットコースターのような一日でしたが、帰りの電車に乗る頃には1件目の営業先で受けた僕の心のダメージはすっかり癒え、鼻歌まじりで家路についたことを今でもよく覚えています。

あれから10年経って、今の僕が言えることは、最初の営業先の編集長が僕に言った言葉は全て間違っていたということです。彼には彼が勝手に作った狭い定義のイラスト像があり、そこから外れるものをイラストとして見ることできなかっただけで、本来は「このイラストは本誌には合わないので、他の媒体を当たりなさい」と言うべきだったのです。また、もうひとつ、今の僕が確信していることは、デジタルイラストレーションがアナログイラストレーションに劣るということは一切無いということです(もちろん、アナログが劣るわけでもないので、アナログが好きな人はアナログで描けば良いと思っています)。これに関しては、また詳しく書きたいと思っていますが、年長者ほどそういったアナログ至上主義的な錯覚を強く持つ傾向が強いので、若い世代はくれぐれもそれを真に受けないようにご注意ください。

それにしても、僕の精神力が(くどいようですが、幼少期のいじめのおかげで・笑)比較的強かったから良かったものの、あの1件目の営業で心が折れて泣いて帰ってしまっていたらどうなっていたのか?と思うと、心ない大人の言葉の無責任さを感じざるを得ません。そして、それは何もこの時に限らず、思えば、僕が何かを始めようとするとき(漫画家を目指したとき、ミュージシャンを目指したとき、就職活動をしなかったとき、インド旅行を決意したとき、独立するとき、海外移住を決めたとき等々…)、常に周囲の大人(時には同世代まで)が「それは無理だからやめておけ」と言ったものでした。結果的に僕はそれらの(ありがたくもお節介な)忠告をすべて無視して生きてきましたが、もし、ひとつでもうっかり聞き入れてしまっていたら今の自分は無かったもしれないかもしれない…と時々思い、ゾッとするのです。なので、僕が若い人に言いたいのは「誰かにダメだしをされても、本当にやりたいことなら無視して突き進め」ということです。たとえ100人にダメ出しされても、101人目に素晴らしい出合いがあるかもしれないからです。

とにかく、そういうわけで勢いづいた僕は、その後も出版社やデザイン事務所への持ち込みをたくさんして、いろいろなデザイナーや編集者の方に会うことができ、その後、思った以上の会社からイラストの仕事依頼をもらうことが出来ました。そして、もうひとつ追い風になったのは、この時期に流行り始めたmixiの存在でした。今でこそいろいろと言われているmixiですが、僕が仕事で知り合ったベンチャーの社長に招待されて登録した当時は、まだSNSの概念さえ日本に定着していない時代で、mixiの登録者もまだ数万人しかいない黎明期だったので、意識が高い人が多く、非常に刺激的な空間でした。その中のコミュニティ(facebookのグループのようなもの)を通して知り合ったクリエイターや編集者を通して、大きなプロジェクトに参加してイラストを提供したり…と、2005年にかけて、急速に自分のビジネスが拡大していくのを実感したものでした。そして、そうこうしているうちに、収入も独立2年目にして会社員時代を超えたので、それだけでも独立して正解だったと確信したのです。年齢的には20代も終盤だったので、30歳の大台に乗る前に自分がやるべき仕事を見つけて、ある程度軌道に乗せられたという達成感や安堵感もあり、一方で20代のうちに出来ることはやっておこうと(30代という年齢に、社会通念的に一層強い責任感を持って仕事に臨むことが期待されている印象があったため)、400ccのオートバイを買ったり、サーフィンにトライしたり、新しいMacを買ったり、海外(オーストラリア)や国内(鹿児島・屋久島等)に旅行したり…と、つかの間の独身貴族を謳歌した、楽しい時期でもありました(僕はこれを勝手に「20代締めくくりキャンペーン」と呼んでいました)。

一方で、この時期には方向性を見誤る失敗もありました。あまりに商業的なイラストばかり描いているのもどうか…と思い、アクリルガッシュなどのアナログ画材を使った新しい手法で作品を描き、そういった作品での個展もやりましたが、やってみて、これは自分には合わない方向性だと気づきました(今書いていて気づきましたが、もしかしたらこれは一件目の営業先の編集長の言葉が深層心理に影響してコンプレックスになっていたのかもしれません)。しかし、その個展の準備のために、膨大な時間と資金を使った上に、それまで複数のクライアントから継続的に受けていたイラストの依頼も断ったりしてしまったので、個展の後は貯金も尽きかけ、クライアントも離れ、何も残らない惨めな状況になってしまいました。そして、その経験を通して、自分の得意分野を謙虚に極めていくのが正しい道なんだ、と悟りました(もちろん、新しいことに挑戦した経験自体は、全く無駄だったとは思っていません)。

2006年の11月、僕は今の妻と婚約をして、一緒に暮らし始めたのですが、それはまさにそんなどん底の時期だったのでした。

イラストレーター・出直し編につづく

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妻とは2005年の6月に知り合いました。彼女はデザイン事務所に併設されているカフェで働いていて、僕はたまたま仕事の打ち合わせの帰...

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コメント

コメント一覧 (3件)

  • 高田さん、いつもFacebookで拝見しています。いま、ふと思い出して、「僕の半生」を最初からここまで読んできました。とても面白いですね。もっといろいろなテーマを読んでみたいです。たとえば、インド放浪編とか。
    自分自身が、すでに相当な「おじさん」年齢になってしまいましたが、世の中の偉そうなおじさんは、基本的に、ほぼなにもわかっていないということが、この年齢になってわかってきました。なにもわかっていない、なにも新しいものを作ることができないのに、偉そうにしてしまうのは、おそらく、いろいろ勘違いしているからなんでしょうね。

    • たかのさん いつもfacebookで見ていただきありがとうございます。ブログでも半生記を読んでいただき、コメントもありがとうございました。「面白い」と言っていただけると、本当に書いた甲斐があったと思います。

      おっしゃる通り、細分化したテーマで更に書いていきたいですね。インド放浪編もいいですし、他に音楽活動の詳細などにも言及していきたいと思っています。

      「日本のおじさんが何も分かってないのに偉そう」という話、その通りなんですよね。僕は「何も分かってない」ことと「偉そう」なことは、それぞれ異なった原因によるものだと思っています。前者は、団塊周辺世代は、その親が作ったシステムが強固すぎたうえに、時代的に他の文化に触れられず多様性を得られなかったことが原因で、そのシステムを維持することに重点を置きすぎて、物事の本質を見失ってしまったこと。そして、後者は儒教的年功序列思想によるところが大きいと思っています。そういう意味では彼らは犠牲者なのかもしれません。

      こういう時代なので、若者たちは「おじさんたちが何も分かってない」といういことを認識して、自力で超えていく必要があるとおもっており、そのために必要な情報をすこしでもここで発信していけたらと思っています。

  • はじめまして。半世記、楽しく読ませていただいています。私は、26歳、社会人2年目の独立を夢見ている者です。今は新卒で入った会社でアプリケーションの開発管理・企画をしています。給与も就業環境も周りの人間も、すべてに恵まれていると感じています。しかし、今の生活は、人生の無駄遣いだと強く思っています。会社組織として決められたルールを守るために必要な時間、やる意味がないと心ではわかっているのにやらざるを得ないことのための時間・・・会社の上の人を見ても、こうなりたいと思いません。でも独立できるほどのスキルもないし、そもそも何やりたいんだろう・・・と思いながら、フリーランスについて調べていたらこちらへたどり着きました。読ませていただいて、とても共感する部分がたくさんあり、やはり自分はフリーランス向きなのだと確信しました。また、26歳からでも何かを学び始めて独立できるのだと勇気付けられました。ありがとうございました。
    最後にお願いがあるのですが、独立当時のイラストがあれば、ぜひ拝見してみたいです。宜しくお願いいたします。

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