僕の半生 ⑮ | あとがき

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この「半生記」(自伝というには、まだ短い期間しか生きていないので、こう呼んでいます)は、僕が 2014年2月に、ここベルリンでフリーランスイラストレーターとしてのキャリア10周年を迎えられたことがきっかけで書くことを決意し、少しまとまった時間ができた今月(2014年4月)に書き始めました。最初は軽い気持ちで短く書くつもりでしたが、書いているうちに色々と思い出し、ひとつの出来事や決意を語るのには、その伏線になる経験を書く必要が生まれ…という具合に、どんどん長い文章になってしまったので、このように(結果的に)14のチャプターに分けて書きました。

冒頭、「自分のことについて書くことの決意表明」でも少し書きましたが、当初僕はこのような半生記(を始めとした、自分についての記述)を書くことにいささか抵抗がありました。僕のように、比較的地味な仕事をしているイラストレーターは、それがビジネスとしてある程度成功していても、客観的には、ただの「無名のイラストレーター」としてしか扱われないことが多く(そのこと自体には、それほど違和感や嫌悪感はありませんが)、そのような人間が自分について書いたところで、それがどれだけの人に関心を持ってもらえるか?という疑問がありましたし、それだけでなく、日本社会における言論は、時に非常に閉塞的且つ同調圧力的なので、僕のような少数派的な考え方は、ネット上の匿名者や、年長者や業界の既得権益層からのネガティブな攻撃を受けることも想定され、そういったことが僕の決心を鈍らせていたことは事実です(たとえば、日本のイラストレーションシーンのような弱小業界にも、日本的な視野の狭い権威主義者たちは居て、彼らは日夜自分の既得権益を守ることに執心しているんです)。

しかし最終的に、自分が保身を顧みずに(というとなんだか大げさですが 笑)半生記を書くべきだと決心できたのは、もし10年前の自分が今の自分のような人間を見ていたら、(初めて大寺さんに会ったときのように)「この人みたいな仕事や生活をしてみたい。一体どうやってそのスタイルを築いたんだろう?」と強い関心を抱くはずだ、と気づいたからでした。日本人のほとんどが歩む、いわゆる一般的な人生(就職活動を通して会社員や公務員になり、そのまま定年まで勤続…など)と比べると、僕らのようなフリーランサーの生き方の方法論の紹介は出版物はおろかネット上にも稀少で、そういった生き方を目指した10年前の僕は、本当にサンプルに飢えていました。僕の場合は、非常に強いあこがれがあったので、サンプルの少なさにめげずに、業界の先輩に直接質問のメールを送ったり、ひたすらネットや書籍で情報収集をし続けたりしたものですが、とにかく、この「半生記」は、ある意味で10年前の僕に対して書いたもので、それは今人生を模索している若い人たちにそのまま役立つ可能性があるのではないか?と気づいたのが最も大きな動機です。そして、そのモチベーションさえあれば、たとえネガティブな攻撃や炎上が起きたとしても、公表する意味があると思えたのでした。

結果的に、一通り公開しても、(それなりに内容に気を使っているせいもありますが)今のところ目立った炎上もなく、それどころか、毎日の更新をfacebookやTwitterでシェアしたところ、思った以上に支持してくださる人が多かったので、そういった反応がとても励みになり、さらに勇気を出して色々なことを書く気力が湧きました。たとえば、会社員時代のボーナスの話営業初日の話、そして3年前までは英語が話せなかったことなどは、自分の過去のいわゆる「ダサい」部分なので、当初は「書かなくていいなら書きたくない」と思っていたのですが、書き続ける中で、他人が自分のどのような経験に関心を持つか、また、僕が本当に伝えるべきことは何なのか?がクリアになり、それがモチベーションになりました。そういった意味でも、SNS上のコメントやメッセージで応援してくれた人たちに感謝しています。

今、こうして無名ながらもフリーランスイラストレーターとして活動しながら、海外(ドイツ・ベルリン)で生活をしていると、「我ながらよくここまで来たものだ…」と思うときもあるのですが、不思議と「しかし何故か物心ついたときから、自分はいつかこんな仕事をして海外に住むような気もしていたから、それが実現しただけなんだよな…」と当たり前のことのような気持ちも共存していて、むしろ、どちらかというと後者の方が強いのです。そして、僕はその「根拠のない思い込みや自信」こそが最も大事だと常に思っていて、それは、この半生記を通して若い世代に伝えたかったメッセージのひとつでもあります。

あえてネガティブなことを言うと、日本社会において夢を語ることはとても難しいと僕はずっと思ってきました。半生記の中でもたびたび書きましたが、僕が夢や目標や将来のビジョンを語るたびに、周囲の人たちの多く(世代に関わらず)は「それは無理だからやめておけ」とか「そんな甘い考えでは生きていけないよ」と言ってきたものです。おそらく、9割がたの人は、そういうことを言われて萎縮して、自分が描いていた個性的な将来像をあきらめて、多数派に同調して生きていく道を選んでしまうと思うのですが、それは、本当にもったいないことだと思うのです。

僕は自分自身を別段すばらしい人間だとは思っていませんが、「本当に尊敬できる人を見極めて、そのような人の言うことしか信じてこなかった」ということだけは自慢できると思っています。たとえば、僕が小学校の頃は手塚治虫を尊敬して手塚作品ばかり毎日読んでいましたが、そうすると、時々、手塚漫画と学校の教科書で内容が食い違う部分に気づいたりして、学校の先生の言葉も必ずしもすべて正しくないような気がしたものです。そんな疑問を抱く僕に対して、ほとんどの大人達は「漫画と学校の先生が言うを比べるべきではないし、もし比べても漫画が正しい訳がない」ということを繰り返し言ったものですが、僕はそれも信じませんでしたし、大人になった今、やはり手塚治虫の方が正しかったと確信しています。これは、別の言い方をすれば、「正しさの相対性・多様性」の問題です。つまり、大人たちが一元的な「正しさ」を押し付けることが間違っていたのであって、「正しさ」というのは、(犯罪行為等は認められない、という意味で)完全に自由ではないものの、ある程度の振り幅があるべきものなのです。簡単に言えば、少年期の僕は「学校の先生たちのような大人にはなりたくないけど、手塚治虫のような大人にはなりたい」というハッキリとした意志があり、そのような子どもにとっては、手塚治虫の漫画の方が教科書や学校の先生の言うことより相対的に正しいのは当然なのです。そして、このような単純な多様性さえ認められないことこそが、日本社会の最大の脆弱性でもあり、僕がベルリンに来た理由のひとつでもあります。とにかく、日本社会はそのようにして若者たちの個性や夢を摘み取り平均化してしまう性質が強いので、個性や才能がある人ほど逆に生きづらい環境で、それは僕自身が幼少期からずっと感じ続けてきたことでした。

勘違いしてほしくないのですが、僕が別に日本社会や、そこにおける日本の教育システムや就職活動を全部否定しているわけではありません。そういったシステムに適性がある多くの人たちは、それを目標にして生きれば良いと思っていますし、そこに必要以上関わる気もありません(そして、そのためのサンプルは、探すまでもなく周囲にいくらでもあるはずです)。しかし一方で、少数ながら適性の問題でそこにやりがいを見いだせず、途方に暮れる若者も一定数いるはずで、僕はそういった人たちに向けて、この一連の文章を書きました。願わくば、一人でも多くの悩める若者に僕の半生記を読んでいただき、少しでも人生のヒントになれれば本望です。

ここまで読んでいただきありがとうございました。質問や感想等ありましたら、いつでもお待ちしています(→メール)。

(『僕の半生』完)


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コメント

コメント一覧 (8件)

  • はじめまして。大阪に住んでいますフリーターのものです。「僕の半生」、すごく面白かったです!自分の生き方の参考にします

  • はじめまして、スウェーデン在住の(派遣)会社員です。日本での学校生活、多様性や、適性、海外移住のことなど共感するところが多々あり読んでいて楽しかったです。これからもお仕事がんばってください。

  • ↑Yoshiさん
    はじめまして。コメントありがとうございます!
    返信が遅くなってしまい申し訳ありませんでした。

    スウェーデンで派遣会社員をされているとは、なかなか珍しいケースですね。興味深いです…。

    半生記を読んで色々共感していただけたとのこと、嬉しいです。引き続きマンガでも描いていきたいと思っていますので、読んでいただけると嬉しいです。これからもよろしくお願い致します。

  • はじめまして。
    シンガポール在住の29歳女です。
    私の場合、順番が逆ですが
    夫の仕事の関係で日本から半年前に移住してきました。
    日本に居るときには考えもしなかった価値観が早くも生まれ、
    海外の生活は刺激も面白さも苦労もひっくるめて、楽しいと思います。
    現在わたしは妊娠中で出産を控えているのですが、出産後は何か自由に、自分らしく出来る仕事を始められたらいいなと考えていた所でした。
    こちらのブログに出会って、こんな生き方をされている方がいるんだ!と感激しました。わたしはどちらかというと、「そんなことできるわけ無い」という周囲の大人の言葉に素直に耳を傾け、どこか自分の気持ちに嘘をつきながら生きてきた人間なので、早く気づけば良かったと思いました。これから何かめげそうになったとき、こちらのブログに書かれていることを思い返したいと思います。

  • ↑西出みなみさん

    はじめまして。コメント、ありがとうございました!

    海外に出られたことで視野が広がったんですね。ご主人の仕事の関係で、とのことですが、その環境に新しい可能性を見いだし、ご出産を控えて、おそらく体調や精神も時に不安定と思われる時期に、それほどポジティブに好奇心を持たれてるのは素晴らしいと思いました。

    是非、海外での子育てを楽しみつつ、並行して好きなお仕事を追求してくださいね! 海外にいると、日本国内独特の「母親は子育ての犠牲になるべき」というプレッシャーもないので、より一層のびのびと出来ると思います!

    今後もブログや漫画で、自分の活動や、周囲で面白い仕事や活動をしている人達も紹介していきたいと思いますので、読んでいただければ嬉しいです!

  • とても楽しく拝見しました。
    テキストブログも漫画もほとんど全部読みました。

    30代、シンガポール在住の日本人(男)です。

    >半生記の中でもたびたび書きましたが、僕が夢や目標や将来のビジョンを語るたびに、周囲の人たちの多く(世代に関わらず)は「それは無理だからやめておけ」とか「そんな甘い考えでは生きていけないよ」と言ってきたものです。

    たぶん、「今までの自分」が正しいのだと信じ続けたいのではないでしょうか。
    真面目に勉強して、新卒一括採用システムに疑問を持ちながらも就職活動して、新卒で入った会社で何年我慢して、いつの間にか転職が厳しい年齢になってしまって・・・
    そこから外れた人間を見ると「今までの自分」を否定された気持ちになってしまい、「君、それは違うんだよ(=正しいのはおれなんだよ)」と言いたくなってしまうのかもしれませんね。

    (もちろん、正しいかどうかは個人の性格や実現したい人生次第なので大企業の会社勤めを否定しません。何が幸せかは本人次第です。)

    わたしは企業向けITソリューション技術営業という「なるべくたくさんの人と会い、社内外調整しつつモノを売る」フリーランス・ノマド生活にはあまり向いていない仕事をしているのですが、今なるべく組織に依存しない生き方を模索しているところです。

    今後のアップデートを楽しみにしています。

  • Kenさん

    コメントありがとうございます。レス、おそくなりました!
    マンガやブログを読んでいただき、嬉しいです。

    「今までの自分が正しいのだと信じ続けたい」という見方は全く同感です。人によっては論破されると「じゃあ俺はなんなんだ!?」とか「馬鹿にするな」などと逆上したりしますから…。まあ、僕は幸いそれらを乗り越えて来れたので良いんですけど、若い世代はそういった上の世代の声を真に受けがちなので、少しでもカウンターの発信が必要と思い、こうしてブログやマンガを書いています。

    Kenさんの専門性でフリーランス・ノマド志向にシフトされるのでしたら、「今の専門性を活かして、世界中どこでも転職できる人材になる」のと同時に「全く違うスキルを身につけて、数年単位で最低限食えるくらいの副業をできるようになる」のが一番良さそうですね。組織に依存しない生き方の模索、がんばってください。応援してます!!

    今後も頑張って書いていきますので、どうぞよろしくお願い致します。

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