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2012年後半、色々とインターネットを中心にリサーチをした結果、僕らはドイツのベルリンに行こうと決めました。
それまで僕は知りませんでしたが、ドイツは意外にも欧州随一の移民大国で、北米や豪州等と違って、フリーランスのクリエイターも長期ビザ(アーティストビザ等)が得やすい環境があるのです。そして、その影響もあって、特に首都ベルリンには世界中のアーティストが集まって刺激的な文化を形成しており、その上、ここ数年はベルリンはITスタートアップの集積地としても注目されているのでした。もともとアメリカのシリコンバレーに憧れていた僕は、そういった状況を知り、更に魅力を感じ、妻は歴史やアートに関心が強かったので、我々は満場一致(といっても夫婦二人ですが)で、ベルリン行きを決意しました。(この辺の詳細はドイツに渡る前日に書いたブログエントリにも書きましたので、よかったらご参照ください→「ドイツに行きます」)。
具体的な移住の準備に関しては、あまりニーズが無い内容だと思われる上に、ビザ取得条件等は日々変化しているので、あえてここでは書きませんが、とにかく2012年後半は仕事のかたわら、出国の準備に追われた日々でした。また、僕はそれまで海外に長期滞在をしたことが無かったので、この時期によく友人などから「いきなり海外生活を始めるのは不安ではないのか?」とたびたび聞かれましたが、意外にもあまり寂しさや不安はありませんでした。もちろん、全く不安や寂しさが無かったというと、それはウソになりますが、それよりも期待や好奇心が強かったんだと思います。そして、その感覚はどこか、過去に自分が「禁煙」や「禁酒」をした時の感覚に、不思議と符合する部分がありました。
僕は、25歳のときに禁煙を、そして34歳のときに禁酒をしました。特にタバコは好きだったので、禁煙を決意してから禁断症状を克服するまで、それは辛い時間を経験したのですが、ある意味で母国への愛着というのは、そのときの感覚に近いと思いました。というのも、僕が禁煙をしようと思った理由に「飽きたから」というのがあったのです。もちろん最大の理由としては健康のためなのですが、副産的な理由として、「何年もタバコを吸えば、タバコのうまさや気持ちよさ、そこから得られるものはだいたい分かってしまった。ということは、これ以上吸い続けても、同じことが繰り返されていくだけで、あとは健康を損ねることはあっても得られるものはない」と気づいたことがあり、そう考えてからは、喫煙生活を続けることよりも、タバコの無い生活を新しく始めることへの好奇心やあこがれの方が強くなり、結果的に完全にタバコを辞めることができました。そういうわけで、2002年の12月以来、僕はタバコを一本も吸っていません(この考え方は禁煙・禁酒に有効だと思うので、もし「タバコやお酒をやめたいけどやめられない」人は参考にしてみてください)。それと同様に、僕はどこか日本に飽きてきていたんだと思います。思えば、広い地球の中の島国に35年も生きていていればそれも無理からぬところで、無意識に新しい環境を求めていた矢先の移住計画だったので、不安より好奇心が勝ったのでしょう。
とにかく、そういったいきさつで2012年12月初旬、僕らはベルリンにやってきました(実は、これは僕にとって初ヨーロッパでした!)。生活を始めるにあたって、もちろん、最初はそれなりに大変なこともありました。たとえば、インターネット環境です。僕らは最初の1ヶ月だけ、短期のアパートを借りて生活を始めましたが、ドイツでは(というか、たぶんどの国でも)そういった物件にはインターネットが引かれてないことが多く、そこも例外無くインターネット環境がありませんでした。しかし、僕は大量の仕事を日本から抱えたままドイツ入りし、到着翌日から仕事に取りかかって、毎日のノルマ分のイラストを日本のクライアントにメールで納品しなくてはいけなかったので、インターネット環境は必須でした。この点に関しては、僕らはかなりITオタクな上に日本でいろいろとリサーチをしていたので、対処できる範囲の問題と想定していましたが、実際は思った以上に大変でした。
ドイツについた翌日、僕らは朝から大型電器店に行き、プリペイドSIMを買って、日本から持ってきたWi-Fiルーターを使ってインターネットに接続し、一旦は無事に開通…したのですが、何故かその日の深夜には回線速度が落ちてしまい、まったくネットにアクセスできなくなってしまいました(データ通信料の上限値到達による制限であることは分かったのですが、その理由や解決法が分からなかった)。焦った僕は、SIMに付属していた説明書を懸命に読みましたがあいにく記載言語は全てドイツ語…。仕方なく、翌朝また電器店に出向きましたが、その日は大雪(意外と認知されていませんが、ベルリンは稚内より北に位置しています)でたどり着くまでが一苦労…。そして、たどり着いても、店員でさえ理由がよくわからず…という具合で、非常に消耗したものでした。結局この時は、もう一枚別のSIMを買って、新しいプリペイドのプランを契約することで解決したのですが、かなり肝を冷やした出来事でした(この辺の、海外におけるプリペイドSIMを使ったインターネットや電話の攻略法も別記事にいつかまとめたいです →書きました!:「ドイツでプリペイドSIMを利用して、月10ユーロで携帯電話とデータ通信を使う方法」)。
一方で、この時に実感したのは、やはり英語力の大切さでした。ドイツはもちろんドイツ語の国ですが、ヨーロッパ圏は全体に語学教育が進んでいるので、一定以上の教育を受けた人は、かなりの確率で英語を話すことができるのです。なので、それまで1年間懸命にフィリピン英会話を使って勉強してきた英語は、ここドイツでも全く無駄ではなく、むしろそれは今日に至るまで非常に重要なライフラインとなりました(現在はちゃんとドイツ語も勉強中です)。前述の、大型電器店でSIMの相談をする時も、流暢な英語を話す若い男性の店員さんが対応してくれて、非常に親切で的確なアドバイスをくれたのですが(翻って考えると、ヤ◯ダ電機に、英語が達者な店員さんがどれだけいるでしょうか?)、これは僕にとって実践で英語を使ってコミュニケーションを取る最初の経験だったので、問題が解決してから、店員さんとの会話がそれなりに成立していたことを改めて気づいて、自分の英語力にだいぶ自信がついたことを思い出します(とは言ってもホントにまだまだですが…)。
そういった比較的小さなトラブルはありましたが、それ以外は、日本でネットを使ってできる限りのリサーチをしておいたこともあって、幸い大きな問題も無く生活を始めることができました。もちろん、現地で友達になった日本人やドイツ人の方たちの支えによるところは非常に大きいのですが、僕が何より痛感したのは、インターネットの力のスゴさでした。
全く新しい環境で、イチから生活を始めるにあたって、僕らは本当に知らないことだらけだったのですが、ちょっとしたことは全てインターネットの情報によって知ることができ、解決できました。調べ方のコツさえつかめば、すでに在独歴の長い日本人がブログ等で紹介してくれている色々な情報(ゴミの出し方や洗剤の種類から切符の買い方まで)にアクセスできますし、ドイツ語とはいかないまでも、英語力さえあれば、その情報源は更に多岐にわたっていて、人に聞かないと分からないことはほとんど無いのではないか?とさえ思えるほどでした。
日本人のブログの中でも、ベルリンに来てから特によく読んだブログは『ベルリン中央駅』というブログで、これはベルリンのガイドブックとしては最も著名な『素顔のベルリン』『ベルリンガイドブック(『素顔のベルリン』の改訂版)』の著者でもある中村真人さんが、ご自身の十数年にわたるベルリン生活の中で関心を持ち探求した、ベルリンに関する様々な情報(文化・歴史・イベント・お店等々)を9年以上も綴ったブログ(というにはあまりにもハイクオリティな記録)です。僕が「ベルリンの、この建物は何だろう?」とか「ベルリンの◯◯エリアの面白いスポットは何だろう?」と思ってネット検索をすると、常に「ベルリン中央駅」の記事が上位に現れ、その都度、僕らに質の高い情報を与えてくれたものでした。おかげで、僕はそれまで関心を持ってこなかった、このベルリンという街が、ただのアートやクラブカルチャーが盛んな刹那的な街ではなく、深い歴史が刻まれた、人類史上稀に見る文化的価値の重い街でもあることを知り、より一層この街を好きになれたのでした。幸い、中村さんご自身とは、その後直接お会いすることができ、同世代、同郷(神奈川出身)ということもあって気が合い、それ以来友達付き合いをしていただいていますが、僕らはそれ以前から中村さんのブログの大ファンだったのです。中村さんのブログや著書は、ベルリン在住者やベルリン(ドイツ)好きにはたまらない内容ですが、そうでない人にとっても読み物として楽しめるものだと思いますので、関心があったら、是非読んでみてください。
ベルリン中央駅 http://berlinhbf.exblog.jp
さて、話を戻すと、とにかく、インターネットの技術がこの僕らの移住を可能にしてくれた、ということは疑う余地がないのです。中村さんは2001年(僕がインドでバックパッカーをした年!)からベルリンで生活を始められたそうで、それはまだインターネットが今ほど便利だった時代ではなかったので、それだけで尊敬に値すると思っていますが、その時代と比べると今はインターネットと最低限の英語さえ使いこなせれば、少なくとも英語が通じる先進国で生活をするのはそれほど難しい時代ではなく、それは僕らの生活によって証明できたと思っています(そして、そもそもその英語力さえ、インターネットの恩恵であるフィリピン英会話によって得ることができたわけですし…)。もちろん、その上でどうやってお金を稼ぐか…等の問題もあるわけですが、それに関しては、ノマド論を…というループになるわけです。
そういうわけで、ベルリンに来てから既に1年と4ヶ月ほどが経過していますが、大阪で実感した「移動しながら仕事をする」メリットはここでもますます強く感じる日々で、具体的には新しいネットワークや素晴らしい仲間たちによる、新しい経験やインスピレーション等々、枚挙にいとまがありません。
今、こうしてベルリンで生活しつつ、このようなスタイルでフリーランスイラストレーターとして仕事をしていると、人からそのスタイルに関心を持たれることも多いのですが、その都度すべてを説明するのも不可能なので、背景にある僕のつたない経験を全14回にわたり(かなり省略して)綴ってきました。そして、この僕の大まかな半生記を、今後さらに細かい解像度で部分的に掘り下げるつもりですが、そういった一連のコンテンツを、過去の僕と同じような悩みや問題を今抱えている人に参考にしてもらえたら何より嬉しく思います。
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