僕の半生 ⑨ | デザイナー・前編| 2002年10月(25歳)〜2002年12月(26歳)

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9月に最後のライブを終え、音楽事務所にも理由を話して契約を解除してバンドを解散すると、僕はただの会社員デザイナーとして、無気力にしばらく過ごしました。この時期、久しぶりに自分の時間がたくさん出来たので、持て余した時間を使って久しぶりの友人に会ったり、見たかった映画を片っ端から観たりしたものでしたが、内心このまま会社員としてデザイナーを続けるべきか、あるいは何か次なる大きな目標を見つけるべきなのか、だとしたらそれは何であるべきなのか…と悶々と思いめぐらす日々を過ごしていました。ただ、そう言いつつも、実を言うとその頃は会社の仕事もかなり楽しい時期でした。既に入社から半年以上が経過していたので、社内の空気にも馴染み、会社の人たちも気の良い人たちが多く、ときどき仕事帰りに一緒にお酒を飲むのも楽しかったし、何より日々仕事を通してデザイナーとしての新しい技術を学び吸収し、すぐにそれを実践に活かしてデザインを作る…という繰り返しの中で、自分がデザイナーとして日に日に成長している実感もあり、働いているというより「お金をもらって好きな勉強をしている」ような感覚でした。そういうわけで、給料は高くなかった(というより、むしろ安かった!)のですが、あまり気にならず、充実しているとさえ感じていました。しかも、最初の半年は会社にバレないようにバンド活動との二重生活をしていましたが、バンド活動が無くなった今、会社の仕事だけしていれば良い日常は、たとえどれだけ仕事量が多く残業がキツかろうとたやすく感じ、しばらくここでのんびり働くのも悪くの無いのではないか…という気がしていたのは否めません。しかし、そのような居心地の良い日常が一瞬にして壊される事件が、2002年12月の暮れも押し迫ったある日、突然起きたのです。

暮れの仕事も終わり、年末年始の休みに入った僕は心地よい疲れとともに、初めて正社員として迎える年の瀬にさわやかな達成感を感じていました。人生初の暮れのボーナスを得たことが、僕の幸福感を一層盛り上げていたのも事実です。そんな一年の疲れを癒すために大学の後輩と日帰り温泉に向かったのです。彼はまた、共に濱中祐司氏の元でギターを学んだ弟弟子でもありましたが、僕と違って堅実な彼は就職活動を通して新卒枠で某優良企業に同年(2002年)春に入社し、その赴任地から年末の休みを使って地元に帰ってきているところでした。僕の運転で箱根方面に向かう車の中で、久しぶりに会った男二人は色々な話に花を咲かせました。そして、話が給料の話題になった時、彼は「いや〜、参りましたよ。ボーナス、思ったより多くて、◯十万円も出ちゃって…」と言ったのです(念のために具体的な数字は伏せますが、四捨五入すると100万円になる数字だった、とだけは言っておきましょう)。僕は、危うくショックで事故りそうになりました。その金額は、僕のボーナスの3倍以上だったのです! しかし、僕にも先輩としてのプライドがあるので、その場は「ふーん…、なかなかやるじゃん。良かったねぇ…」などと、余裕のあるフリをしてかわしたのですが、二人の間に横たわる経済格差はあまりにも重い現実として僕の心にのしかかり、その後もハンドルを握る手に力は入らず、温泉に浸かっても暑いんだか寒いんだか分からないような状態で放心していました。つまり、その時僕は初めて「新卒採用と中途採用の格差」を彼の言葉によって目の当たりにし(もちろんそれだけでなく、職種の問題もありますが)、そのおかげで、居心地の良い現状に満足して上昇志向を失いかけてた自分に気づき我に返り、やはり今の場所に長くいるべきでは無いと、改めて自分を鼓舞したのでした。後輩としては、ちょっとした自慢のつもりだったのかもしれませんが(実際、数年前に本人にその話をしたところ、「そんなこと言いましたっけ!?」と、本気で忘れていました)、僕は今でもこのときの彼の言葉に感謝しているのです。

そのような経緯もあり、しだいに僕は、自分が目指すべきものはフリーランスのイラストレーターなのではないか?と思うようになりました。それまで、僕はイラストレーターという職業は美大や美術系の専門学校などで専門的な技術を学んだ人がなるものだと思っていましたが、実際僕はその時すでに専門教育を受けずにデザイナーとして働いていましたし、そこで鍛えられたデザインやデジタルのスキルと、子どもの頃に描きまくったマンガの絵を組み合わせれば、イラストレーションとして成立するのではないか?と思い始めたのです。しかし、当然周りにはフリーでイラストレーターをしている人などいないので、僕はイチからイラストレーターという仕事についてリサーチをすることにしました。

それからしばらくは、僕は会社から帰ると、インターネットや書店でイラストレーターについて調べたり、自分でイラストを描く練習を毎晩しました。それまで関心を持ってこなかったのでどのような方向性のイラストレーターを目指すべきか分からず、とにかくたくさんのイラストレーターの絵を見て研究しましたが、なかなか自分が目指すべき人を見つけることが出来ませんでした。

そんなある日、書店で立ち読みしていたMdN(2002年の11月号だったと思います)でたまたま見つけたイラストに僕は衝撃を受けました。それまで僕が目にしてきたイラストの多くは、うわべのタッチやスタイル重視という印象が強く、あまり惹かれることがありませんでしたが、そのイラストは全く違っていました。それは、僕が影響を受けた音楽(Steely DanやPat Metheny)や音楽理論にも通じる本質的な説得力を持っているように思え(後に、それは錯覚ではなかったことを確信する)、それゆえ小手先のテクニックで真似ができない類いのものでした。それは、大寺聡さんというイラストレーターによるものでした。

デザイナー後編・イラストレーター立志編につづく

 僕の半生 ⑨ | デザイナー・前編| 2002年10月(25歳)〜2002年12月(26歳) 「僕の半生」 人生論 僕の半生 ⑩ | デザイナー・後編/イラストレーター・立志編| 2003年1月(26歳)〜2004年1月(27歳)
2003年前半の半年間、僕は大寺聡さんに憧れて、会社員をやりながら夜な夜なイラストの練習をする日々を送りました。大寺さんはもと...

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