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フリーランス イラストレーター高田ゲンキの情報発信ブログ、『Genki Wi-Fi(ゲンキ・ワイファイ)』。

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僕の半生 ⑧ | 音楽挫折編| 2002年3月〜2002年9月(25歳)

      2015/10/02

 - 人生論, 「僕の半生」    -

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2002年3月初旬、僕はバンドメンバーと3人で都内某所の音楽事務所へ行きました。僕らの作った曲と演奏が認められて、事務所から声がかかっただけでも天に昇る気持ちだったことを覚えています。事務所の僕らの担当者はひとしきりデモの曲を褒めてくれたあとで、「しかし、このままでは商品としてのインパクトに欠ける。シングルカットできるキャッチーな曲を量産できるように、今後は月に1〜2回ココに新しい音源を持ってきてもらう。そして、安定してより良い曲が作れるようになったと判断できたら、その時に改めて正式な契約をしよう」と言いました。

これは当時の音楽業界ではそれほど珍しい話ではなく、むしろアマチュアやインディーズのバンドがメジャーデビューするプロセスとしては比較的一般的な展開だった思います。この辺の音楽業界の構造は意外と知られていないので、ここで当時のケースをひとつ簡単に説明すると次のようになります。

音楽事務所・芸能事務所(プロダクション)はアーティスト(バンドや歌手等)の雇い主兼マネージャーのようなものであり、アーティストはその事務所の言わば「商品」です。事務所は、事務所に所属しているアーティストをレコード会社に売り込みます。レコード会社は商品価値があるアーティストだと判断すると、アーティストと直接ではなく所属事務所と契約し、そのアーティストに対して事務所を通して一定額の出資(投資)をします(この時に、「◯千万円の契約金で、◯年契約。その間にアルバム◯枚とシングル◯枚をリリースすること」等の具体的な条件を決めて契約します)。事務所はその出資金を一部は事務所の利益にし、残りはアーティストのマネジメント資金に充てて楽曲制作やプロモーションをし、完成した商品(楽曲)はレコード会社が持つ流通網で日本全国に販売されます。この契約成立と商品(CD)のリリースを、一般に「メジャーデビュー」と呼びます。そして、一定以上(数万枚単位)CDが売れると、レコード会社の出資金以上の利潤が生まれ、事務所やアーティストに印税として還元される(契約期間中に、この利潤を生めなかったアーティストは次回の契約更新はできず、メジャーシーンから消える)というのが、いわゆる音楽のメジャーシーンの分かりやすい一例です(ただ、これは僕が音楽活動をしていた10年以上前の話で、近年は音楽業界全体の売り上げが低迷している上にネット配信等の流通網が進化した影響で、かなり大きく変化しています)。つまり、僕らはこの時点では事務所と正式な契約をしたわけではなく、言わば無報酬の「仮契約」のような状態で、出資してくれるメジャーレーベルのレコード会社をなるべく短期間で見つけるために、音源を一緒に作っていこう…という話になったのでした。

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それ以来、僕は日中は正社員としてデザイナー勤務をし、平日の夜と週末は作曲とレコーディングをして、月に数回はバンドメンバーと都内の音楽事務所に通う、過酷な二重生活をしましたが(その間、数えきれないほどの徹夜をしました…)、半年ほどでバンド活動は破綻を迎え、メジャーデビュー目前(?)にして、僕らのバンドは解散を余儀なくされました。主な理由は、事務所の要求が僕らのバンドには商業的すぎて方向性が食い違い、そのような関係の中で過ごした半年間という時間の中で、メンバーの精神がついていかなくなってしまったことでした。そして、音楽業界の暗黙の了解としてメジャーデビューのリミットである年齢の25歳にそのとき既になっていた僕は、これ以上ミュージシャンになる夢を追いかけても実現できる可能性はかなり低いと判断し、バンド解散と同時にすべての音楽活動からキッパリ足を洗いました(…と書くと、いかにも潔く決断したかのようですが、実際は本当にボロボロになるまで試行錯誤して悩んで傷つけ合って、まるで人生をかけた大恋愛の後の惨めな大失恋のような解散でした)。

こうして、僕のメジャーデビューを目指す音楽活動は、惜しいところまで行ったものの結果的には挫折して幕を閉じました。しかし、その活動を通して自分の表現を追求できたことや、その表現をビジネスに昇華するために必要な要素を、特に音楽事務所とやりとりをする約半年間の中で知れたこと、そして、至近距離で巨大な音楽産業を目の当たりにし、経済や業界がどのような仕組みでどのように形成され、人やお金がどのように流れてているのかを見ることができたのは、僕の人生にとって、ある意味メジャーデビュー以上の収穫となり、その希有な経験もまた、その後のイラストレーターとしての活動の中で自分のイラストをどのようにマネジメントすればマネタイズできるか?を考える上で、そのまま役立ちました(つくづく、真剣に何かに向かい合う経験に無駄なことはひとつも無いと思います)。

デザイナー・前編につづく

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