僕の半生 ① | 幼稚園〜中学時代編| 1979年(3歳)〜1992年(15歳)

自分について書くにあたり、まず自分の半生を綴りたいと思います。というのも、生い立ちが似ている人は、考えに共感を抱きやすい傾向があると思うので、僕の経験や考えは僕と似ている性格を持った若い人の問題解決になりうる可能性が高いと思うからです。

僕は、集団に馴染めずイジメによく遭う子どもでした。父の転勤の都合で幼少期を福岡で過ごし、幼稚園の年長のときに神奈川に引っ越して来たので、最初は博多弁のせいでいじめられたのだろうと思っていましたが、小学校に入学して方言が消えた後もたびたびイジメに遭ったので、原因は方言だけでなく、僕の集団適性の問題だったようです(いじめについての別記事を書きました→コチラ)。学校の勉強も好きではなく(成績は中〜中の上くらい)、運動も好きではないので体育も苦手だし運動部に入らず、中学時代も学校が終わると誰より早く家路につきました。僕にとって子ども時代は、辛い事やつまらない事が多く、救いの無い日々でした。

そんな少年期における唯一の救いは「マンガ」でした。小学校一年生の時の同級生の影響でマンガを描き始め、少なくともこれは友人たちより自分が優れている数少ない才能のひとつだと自覚でき、クラスでマンガや似顔絵を描いている時だけは束の間の人気者になれたので、承認欲求を満たすために休み時間だけでなく授業中も絵を描いたものでした(それが原因で勉強が出来なくなったり、余計なひんしゅくを買ったりもしたものですが)。また、マンガを読む事も好きでしたが、僕は小学校低学年の時分から「将来は漫画家になる」と決めていたので、一読者としてではなく、描き手目線でマンガを読んでいました。

小学校時代に特に影響を受けた漫画家は藤子不二雄と手塚治虫で、藤子不二雄作品からは、特に「まんが道」を通してクリエイターの覚悟を、そして手塚作品からは特に「火の鳥」を通して、マンガを超えた思想や哲学を学ぶことができました。この時代に常にひとりでマンガを読んだり描いたりしていた経験が、今の僕の仕事のスキルの土台になっていることは間違いなく、今になって思えば、学校の勉強や集団生活への適性が無かったことは、結果的に非常に良かったと思っています。

高校時代編に続く


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