僕の半生 ③ | 浪人時代編| 1996年(19歳)

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高校は卒業したものの、浪人をしてまで大学に行きたいとは思えず、かと言って労働意欲も全く湧かず、最初の数ヶ月はただ無気力に過ごしていましたが、いつまでも無気力に過ごしていると廃人になってしまうので、仕方なく「今後の自分の進路をどうすべきか」という問題に人生で初めて正面から向かい合うことにしました。

まず、大学に行きたくなかったのはどうしてかというと、そもそも高校までの学校生活で飽き飽きした「お勉強」を、更にこの先4年もするのは考えるだけで目眩がするし、それだけでなく、僕は日本のいわゆる「学歴社会」における大学進学至上主義が大嫌いで、むしろもっと良い社会を作るべきだと思っていたのです。しかし、あれこれ考えているうちに「大学にも行かず学歴社会を批判するのは、他人から見ると全く説得力のない“負け犬の遠吠え”にしか見えないのではないだろうか…」と気づき、むしろ学歴社会を批判したいのなら、まずは大学に入るべきだと思い直し、浪人して大学受験をすることに決めました。

そうすると、次は「どの大学に行くべきか?」という問題に直面するわけで、東大あたりを出れば説得力もMAXでかっこいいのですが、そこまでの学力も当然無く、受験勉強に対する熱意も限りなく無に等しかったので、違う基準で考えることにしました。ほとんどの人は「就職に有利な大学」を志すわけですが、それこそが本来学問を究めるための学府である大学の本分からすると本末転倒で学歴社会が腐敗している原因だと考え、僕はあくまで「自分が関心ある分野」を勉強するために進学することに決めました。その時点で一番関心があったのは、『幼稚園〜中学時代編』と『高校時代編』で書いた通り通り「マンガ」と「音楽」だったのですが、いろいろと考えた結果、美大・音大は自分の志望からは外しました(この理由については、また別の機会に書きたいと思います)。

結局僕は「インド」について勉強をする事に決めました。理由は、中学生の時に妹尾河童さんの「河童が覗いたインド」という本を読んで以来、強烈にインドに惹かれ、いつも心のどこかで憧れていた国だったからです(…と今書くと、何とも馬鹿げた頼りない動機ですが、少なくともその時は経済学や法学や商学や文学を学ぶよりもずっとリアルに感じられたのです)。

それで、ようやく自分の中でモチベーションが湧いて、夏から受験勉強を始め(予備校には行かなかった)、運良く第一志望だった「東海大学文学部文明学科アジア専攻南アジア課程」に合格することができました。思えば、この大学合格は、僕の人生で初の社会的成功体験でした。

大学時代編に続く


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