ノマド論 2014

nomad_2014移動中の機内にて、このエントリーを書いています。

以前の「イラストレーターのMac環境(ノマド編)」「ノマドという生き方」を受けて、「ノマド論」を語りたいと思います。

日本で死語になりつつある「ノマド」

2011〜2012年頃にネットを中心に流行っていた「ノマド」という言葉が、今や死語となりつつあり、古い概念として扱われている感があります。

こういうことになってしまったのは、ネット上での一部の「ノマド至上主義者」たちが、話題性を追求するために極端な論調でノマドを語ってしまい、そこに対する反発が強く生じたことが原因だと考えています。彼らはネット上で時には「社畜」という逆なでするような言葉さえ使って「ノマド(=フリーランス) VS 会社員」という構図を作り出し、ノマド的に生きることができる自分たちの優位性を強調しましたが、結果的にマジョリティ層(あるいはマジョリティを味方につけた非ノマド的スタンスの論客)によって、次第に「非現実的な理想主義者」として扱われるようになり、それにともなって「ノマド」という言葉が持つイメージが(「スタバでドヤ顔」や「80年代のフリーターと同じ」的な)ネガティブなものに変わってしまった感があります。

一方、たとえばヨーロッパでも「ノマド」という言葉は使われていますが、もともと「会社員の対極」という位置づけではないばかりか、そもそも正社員という雇用形態自体が日本ほど一般的ではないので、日本のようにブームになったり廃れたりせず、一般用語として定着して、普通に使われている印象です(よく見るのは“Digital Nomad(デジタル・ノマド)“という言葉で、コンピューターなどのテクノロジーを駆使してロケーションフリーで働く人を指します)。

ノマド再考

ノマドの定義

ここでノマド論を語るにあたって、改めてノマドの定義を明確にしたいと思います。かつていろいろな場面で様々に語られたので一概に定義することは難しいのですが、僕の主観を含めた一般論の最大公約数的解釈として、次のように言えると思います。

IT先端技術と独自性の強いスキルを使って、場所や時間などの制約条件に縛られず、自由な形態で仕事をする人や、そのスタイル

ノマドが非現実的な概念として扱われるようになったワケ

かつてあれほどもてはやされた「ノマド」という言葉が、今や下火になってしまった理由として、多くの人が「ノマドを目指したところで、結局圧倒的多数の人が場所や時間の制約条件の中で働かざるを得ず、ノマド礼賛は一部の人間の優越感の露呈でしかない」と考えるようになった点があると思います(事実、Twitterを中心にそういった意見が多数見られる)。

また、特にノマド全盛期(2011〜12年頃)は、ブームに便乗して、「あなたもノマドになれる!」的なキャッチフレーズで、高額なノマドセミナーのようなものが開催されるなど、ノマドを騙った悪徳ビジネスも横行し、それが「ノマド=うさん臭い」というイメージを加速度的に強めてしまいました。

大事なのはスタイルではない

特にノマドブーム時のノマド礼賛論者たちの論調は「スタイルありき」でした。彼らは「独立してフリーランスになって、自由に好きな仕事をすることがファッショナブルなんだ」というような、イメージ先行型のノマドブームを作っただけで、「ノマドになるために、実際にどのようなスキルを使って、どうやって仕事や生活を成立させて、どのくらい稼ぎ、そしてさらにその方法論はどの程度継続可能なものなのか」という実質的な情報発信はしませんでした。そして、セミナーや書籍のマーケティングのために、スキルや経験の無い人にも「ノマド化」を促したことが、中長期的に見てマジョリティ層からの信頼を失う結果になってしまいました。

このような悪徳ビジネスは、ある意味でどの業界にも巣食う「悪い大人」(本ブログ過去エントリー「悪い大人の見わけかた」参照)が、たまたまノマドというキーワードに便乗したに過ぎず、本来ノマドという言葉が持つ本質とは関係がないので、そのような悪徳ビジネスのネガティブなイメージの影響だけでノマド的な考え方すべてが否定されてしまうのは、あまりにも惜しいと思うのです。なぜなら、ノマド化を実現するためのプロセス(テクノロジーやスキル)には、フリーランサーやクリエイターに限らず会社員や専業主婦などを含むすべての人の生産力を上げ、可能性を広げるポテンシャルがあるからです。

非ノマドこそノマド的スキルを活かせ

ノマドとして仕事をしていく上で必要なスキルは、ある意味ですべての人に応用ができると言えます。

スキルの具体例としてフリーランス・クリエイターのケースを考えると、前提としてクリエイターとしてのスキル(デザインやイラストやプログラミング等のクリエイティビティ)だけでなく、ひとりで仕事を成立させるためのマネジメントやマーケティング能力も必要になり、さらには突然のパソコンやネット等の不具合にも対応できる程度のITリテラシーなども不可欠と言えます。

さらに、僕のように海外を拠点にして生活や仕事をする場合、最低限の言語能力や、海外にいながらにして日本のクライアントとスムーズに連絡を取れるインフラを構築できる程度のITスキルも必要になってきます。

これらは、ノマドとしては前提条件なのですが(僕の場合は、自分の関心事が結果的にたまたまシンクロしていて条件を満たしていただけですが…)、同時に「非ノマド」(つまり、主婦とか会社員とか学生)にも非常に有用だと言えるのです。

具体例として

営業職の場合

たとえば、営業職の会社員のケースを考えてみたいと思います。僕自身、なりゆきで二ヶ月だけとはいえ営業職を経験したことがあるので(「僕の半生-7 就職活動/バンド復活編」参照)思うのですが、営業職の人は今こそ最先端のモバイル環境を駆使して、情報とネットワークをを最大限活用するべきだと思うのです。もちろん「足で稼ぐ」営業スタイルは今の時代においても時に重要ですが、ネットの高速化とデバイスの高性能化が著しく進んだ今日において、物理的な距離を移動して人と会わなくてはいけない必然性は圧倒的に下がり、必ずしも会わなくていい相手とはネット上だけのやりとりで仕事が完結してしまうので、余剰の時間を更なる生産に割くことができるはずなのです。

また、これはクライアントとのやりとりのみならず、社内でも同様です。これはひとつのたとえですが、もしPhotoshopなどがある程度使えて、ネットリテラシーもある人が紙媒体広告やweb広告の営業マンだったら、クライアントとSkypeで打合せをして、ヒヤリングをしながらまとめたアイデアラフに注釈を加えたものをスキャンして、社内のデザイナーにメールで送信。足りない部分はSkypeで説明…ということも出来る時代なのです。しかも、今やそれが出先でもできるので、もはや会社に行く必要がほとんど無くなり、通勤にかける時間を新規開拓のために割けるわけです(これを最大限実用化するためには、過去エントリーの「WiMAXを使って通信費を節約する方法」が参考になると思います)。

あと、特に僕のようなやる気にムラがあるタイプの人間は、決まった就業時間に縛られず、モチベーションが高い時に集中して仕事をすることで生産性が上がるので、会社員の人にもこのスタイルは効果的です。もちろん、そういう新しい方法が社内で受け入れられないケースも多いかと思いますが、部分的に勝手に導入して、結果として明らかに売り上げに貢献できていることを証明すれば、許可される可能性もあるのではないでしょうか。

学生の場合

学生の場合はパソコンやネットの知識はそのまま勉強に応用できます。特に英語学習に関しては有効だと言えます。半生記(「僕の半生 -14  イラストレーター・ドイツ移住編」編)にも書きましたが、僕はオンライン英会話を利用して、1年ほどで「全く英語が話せない状態」から「海外(英語圏)でなんとか生活ができるレベル」まで上達したのです。これは自分の予想以上の効果でしたし、5年前では考えられなかった方法なのです。今や海外勤務ではなくても英語力が重要視される時代で、就職活動においても英語力は大きなアドバンテージになるので、就職にあたって特別な強みが無いすべての学生は、レアジョブなどのオンライン英会話をやって、就職までに英会話スキルを身につけるだけで、実質的に有利になるだけでなく、精神的にも大きな自信がつくはずです。

また、オンライン英会話に限らず、実際に夏休みの間だけフィリピンに留学して英語を集中的に鍛える方法もありますし、ある程度英会話ができるようになったら、いろいろな国に旅行に行くこともますます楽しくなります。そして、そのような活動はもはやノマドそのものだと言えます。

主婦の場合

主婦の場合、ノマド的な「いつでもどこでも作業ができるスキル」は、まさに家事や育児の合間のちょっとした時間に仕事をするのに適しており、たとえば、雑貨を作ってネット販売したり、有用な情報をブログで発信してアフィリエイトで稼ぐなど、元手がかからず可能性を広げられるのです。そして、そういった活動は実際にビジネスとして成長するポテンシャルがあることはもちろんのこと、そういった社会との接点そのものが生き甲斐となり、生活がより充実したものになると思います。

こういった方法論は会社員の副業にもそのまま応用が利きます。実際、会社員ブロガーだった人がアフィリエイト等でのブログ収入の方が給料を上回ってしまい、会社を辞めてプロブロガーとして独立するケースも増えています(もちろん、そこまで行くのは並大抵ではありませんが)。

テクノロジーを信じよう

最近、テクノロジーや情報化社会についていけずに疲れを感じている人も多いそうで、そこに目をつけた人たちが新たに「◯◯断捨離」などと称して、アナログ回帰的なビジネスを展開しており、その中にはかつてノマド・ビジネスの中心にいたような人たちもいるのですが、僕はあえて情報もテクノロジーもいっさい否定せずに使い倒すべきだと思っています。もちろん、テクノロジーの過信は禁物ですし、負の側面もたくさんあります。しかし、今多くの人が(少なくとも日本人が)ネットやコンピューターに疲れているのは、テクノロジーそのものが原因なのではなく、使うベクトルの問題なのです。そのベクトルを修正すべきところを、聞こえの良いアナログ回帰に結びつける論調は、無責任なものだと言えます。

テクノロジーも情報も、ある意味で語学と一緒で、大量にインプットすると、最初は脳が混乱して何が正しいのか判断できないのですが、一定の期間インプットし続けると、相対的なバランス感覚が養われて、正しい情報とそうでないものを区別できるようになるものなんだと思います。分かりやすい例だと、ネット慣れしている人はスパムメールを一発で見抜くけど、そうでない人は信じてしまうことありますよね。

過去の「ノマド・カリスマ」たちのノマド論を超えよう

かつての、いわば「ノマド・カリスマ」たちが作ったノマドのイメージは「会社員の対極」に位置するものでした。しかし、この悪しきイメージを乗り越えて、やはりすべての人が「ノマドになろうとすればなれるスキル」を身につける必要があると思うのです。なぜなら、そういったテクノロジーが「個人」の力を飛躍的に強めて自由にしてくれるからです。

そういったスキルを身につけた上でフリーランスになりたければなれば良いし、会社員として働くのが好きな人は会社員として働けば良いだけの話で、両者は決して対極ではないと思うのです。

しいて言えば、上記のようなスキルを身につけて最大限活用している人は、会社員や主婦や学生等々であってもノマドですし、逆にフリーランスでも十分なスキルやサステナビリティが無い人はノマドとは言えないんだと思います。それだけ、コンピューターやインターネットなどの新しいテクノロジーは新しい可能性に満ちているものだと僕は確信しており、僕が敬愛して止まないスティーブ・ジョブスが描いたビジョンとはそういうものだったのではないかと思います。

まとめ

「ノマド」という言葉は、あまりにもいろいろなイメージがこびりついてしまっているので、もはやネガティブな意味にしか捉えられない人もいるかもしれず、そのような場合は無理に「ノマド」という言葉を使う必要は無いと思っています(僕も、別にノマド礼賛というわけではなく、これに置き換えられる便利な言葉が他に無いので便宜上使っているに過ぎないのです)。

ただ、その本質である「個人の能力を強め、個人を自由にしてくれるスキルやテクノロジー」そのものは、すべての人の人生を豊かにしてくれるものであるという確信のもとに、僕はこの「ノマド」という言葉を使っており、また、今後もそのような「本質論としてのノマド」になるために必要なスキルや情報をシェアする場として、このブログを展開していきたいと考えています。

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