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あとがき
柔道部をやめた僕は、入学から2ヶ月経ってようやく普通の高校生活を手に入れました。今回はその頃の話を描きました。
部活をしている間は部活の拘束時間が長くて授業の時間以外は教室にほとんどいなかったので(第8話と第9話参照のこと)、部活をやめた直後の僕は(おそらく)“レアキャラ的存在”として、にわかに人気者になりました。この展開は全く想像していませんでしたが、もちろん悪い気はせず、戸惑いつつも「僕は良い学校に来たな!」と、素直に喜んだものでした。
しかし、それもつかの間。半月ほど経ったある日、突然僕はクラス中から無視されます(いわゆる「シカト」)。しかも中学の時とは違い、今回はクラスの女の子たちも口を利いてくれなくなってしまい、僕はクラスで完全に孤立しました(特に女子からのシカトは徹底していて、クラス替えをするまでの1年弱、ほとんど口を利いてもらえなかった)。
6,7コマ目の表現は大げさでも何でもなく、「シカト」の対象になると、こんな感じで(時にはもっと感じ悪く)空気の様に扱われて存在を認めてもらえないのです(被害に遭ったことがある人なら共感してもらえると思います)。もちろん何であってもイジメはイヤですが、この「シカト」というのはずいぶん陰湿で暗いタイプのイジメだなー…と感じたものです。彼ら(クラスメイトたち)は「僕(ゲンキ)を認識してないフリ」をし続けるわけですが、それって返って強烈に意識しまくってるわけで、そういう感じがビシビシ伝わってきて「気持ち悪いなー」と思いました。
シカトされた理由はいまだによくわかりませんが、無意識に彼らの癇に障ることをしてしまったようです。まあ、あれから20年以上経った今でも、僕は人をイラつかせるのが上手いので、今思うと何となく想像はつくのですが、いずれにしても「空気読めない」とか「派閥(グループ)に入らない」とか「自分が人気者と勘違いして調子乗ってる」とか「隣のクラスの女の子と仲良くしてる」とか、そういうものすごく下らない理由だったはずです。
しかし、中学の時の過激なイジメ(第3話、4話、5話参照)を乗り越えてしまった僕にとってはシカトくらいは全然へっちゃらで、心のどこかで「やっぱりね」と思った程度でした。
そんなわけで、イジメに負けないそして、冷静な頭で考えて、ふたつの結論を出しました。
結論①: レベルの低い人たちからどう思われるかで一喜一憂するのは時間のムダ
過去に書いた『いじめられっこたちよ、長渕剛を聴け!』という記事で書いたのですが、中学の時にいじめられた時に気づいたことがあります。それは「自分のことを不当に嫌ったりいじめたりしてくる人たちは、そういう行為をはたらく時点で心が貧しいということを自分で証明しているようなものであり、そのような人たちに嫌われてもたいした問題ではないので、落ち込むだけ時間がもったいない」ということです。ただ中学3年の時に経験したイジメのように、そこに暴力的要素が加わると話は別ですが、今回描いた高校のイジメのようにシカトされる程度のレベルでは、もはやこの時点で僕の気持ちは全く傷つかなくなっていました。そして、メンタルが強くなった僕は、そんな状況下で「このイジメられる感じ、懐かしい!」とか「中学であれだけ辛酸なイジメを経験した俺を、シカトくらいで苦しめられると思うなんてかわいいヤツらだ」とか思って、本当にヘラヘラ笑って過ごしてました。
繰り返しますが、多少イラつく程度の理由で集団で個人を無視するという卑劣な行動ができてしまう人たちは、あまりにもレベルが低く、こちらとしても一緒に時間を過ごしたくないので、嫌ってくれた方が好都合なのです(シカトされて悩んでいる人は、全員こう考えましょう!)。
結論②: 暗い顔をしていてはイジメ加害者の思うツボ
上記①は「落ち込まない」という内容でしたが、イジメ加害者に対してささやかな仕返しをしたい場合は、それでは不十分です。そういう状況下においてはできる限り明るく楽しく振る舞うべきなのです(笑)。今回のマンガの最後のコマはそれを強調して表現したものですが、実際僕は高校でイジメに遭っても全く暗い顔をせず、明るく振る舞っていました。もちろんシカトは多少ショックだし腹も立つのですが、だからといって悲しんだり怒ったりしたら思うツボで、クラスメイトたちは僕のそのような表情こそを見たくてこのような仕打ちをしたわけです。なので、ひとりでいきいきと勉強したり本を読んだり落書きしたりして、極力明るく振る舞っていました。見かたによっては“イタい人”ですが(笑)、ウジウジしている“惨めな人”になって低レベルな加害者たちを喜ばせるより100倍マシだったと思っています。
あとあと思うと、僕のこういう性格を形成してくれたのは江川達也さんのマンガでした(『東京大学物語』とか『まじかる☆タルるートくん』の作者ですよ)。特に当時影響を受けたのは江川達也先生デビュー作の『BE FREE!』で、主人公の笹錦洸(ささにしき あきら)が、どれだけ人に嫌われたり窮地に追いやられても明るく笑い飛ばす様が痛快で、彼の打たれ強さや明るさに相手がひるんだりイラついたりする様子を見て、「俺もこんな風になろう!」と憧れました。いやー、江川先生、本当に素晴らしいマンガをありがとうございました。今でもめちゃくちゃ尊敬しています。
『BE FREE!』は中高生が読むにはエッチすぎる(笑)マンガですが、他人から陰険な仕打ちをされた時に読むと、とても元気づけられるマンガなので、中高生でも良いのでイジメられたら読みましょう!(もしかすると、これは僕が生涯出合った中で最も好きで影響を受けたマンガかもしれません)
…と、書いていて気づきましたが、今回のマンガの最後のコマの僕が笑ってる表現とかも『BE FREE!』の影響が出てますね。知ってる人なら分かると思います(いや、わからないかな…)。
まとめ
というわけで、高校1年の時に経験したイジメ被害(シカト)の話でした。
継続して読んでくれている読者の方には、もはや「これってイジメのマンガでしょ?」と思われそうなレベルでイジメの話の割合が多いのですが、別にそういうわけではなくて、たまたま僕の人生の序盤にイジメ(られ)要素が多すぎただけなのです(実際、もうしばらくしたらイジメネタはほぼ無くなると思います)。
もちろん、高校までの人生においてもイジメ以外の要素もそれなりにありましたが、その中でもイジメにフォーカスしているのは、やはりここで経験したことが後の僕の人格形成にものすごく影響を与えたからです(結果的には経験して非常に良かったと思っています)。また、今イジメの被害に遭っている人が読んでくれたら、少しでも気持ちが強くなれるかも…とも思いますし、一方で、イジメの被害も加害も経験が無い人に「本当にそんなことがあるのだろうか?」と言われることもあるのですが(あたかも僕の被害妄想かの様に言われることもあります)、そういう人にこそ見えないところでこのような陰険な仕打ちがされていることを知ってほしいという気持ちもあって描いています。
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